【難民からセレブへ】歌手リタ・オラの笑顔の裏側

ジェイ・Z率いるレーベル、ロック・ネイションと18歳で契約を交わし、大型新人としてデビューを果たしたイギリス出身の歌手リタ・オラ。

ファースト・セカンドシングルともに全英1位を獲得し、華々しいスタートを切った彼女の過去は、想像しがたいほど過酷なものでした。

家族が引き裂かれた孤独な幼少期

large-2

リタ・オラがまだ1歳のとき、両親が旧ユーゴスラビアの内戦から避難し、リタは姉のエレナと共に保護施設に収容されるという苦しみを味わったという。

 

''私と姉は両親から引き離され、そのまま児童施設に連れていかれたわ。

両親が難民だったから、私たちも難民として扱われたの。''

''私たち家族は過酷な環境から抜け出せてとてもラッキーだった。

空港のゲートが閉まり、避難できない人たちもたくさんいたわ。

私たちがあと少し遅れていたらと思うと、今でも怖くて仕方がなくなるの。''

 

彼女曰く、苦難を乗り越えられたのは間違いなく家族のお陰だそう。

''両親は世界で一番強い人たちだと思うわ。私の知る限りね。だって人生をゼロからやり直したんだから。''

成功するか、落ちぶれるか。道はふたつしかなかった。

large-10

人生で何かを成し遂げるか、地元にとどまって友だちにマリファナを売る生活を続けるかという分かれ道にいた。とリタ語っています。

''私は最悪な子どもだった。学校では問題児として扱われていたし、

人生をどう生きるべきかなんて何も考えずに生きていた。''

''手を出していなかったものの、ドラッグは常に近くにあった。

私みたいな経験は誰もしてほしくないと心から思っている。''

歌手になることを夢見たリタに父親は猛反対。

1年間という期間を与え、それで成功しなければ大学に戻るという約束で彼女にチャンスを与えました。

''やっと夢を見つけた私は、歌いたくて仕方がなかった。ただそれだけよ。''

大物プロデューサーの目にとまり、デビュー

large-5

父親の反対を押し切り、ロンドン市内のバーで音楽活動を行っていたリタ・オラ。

その後、業界の重鎮であるジェイ・Zの目にとまり、ロック・ネイションと契約を交わして成功の階段を駆け上がっていきました。

イギー・アゼリアとコラボレーションをした「ブラック・ウィドウ」など数々のヒット曲をリリースし、音楽オーディション番組「Xファクター」のイギリス版ではメンターとして若手の育成を担う経験を積みます。

スポーツブランドのアディダスとのコラボレーションや、映画ワイルド・スピードに出演するなど、歌手だけに留まらず活躍し、自身の壮絶な人生を綴ったHot right nowという自叙伝を発売しました。

 

生まれる場所を自分で選ぶことはできません。

どんな過酷な状況でも希望を持ち続ければ道は開けるということを、リタ・オラは自身の経験から証明しています。

Wriiten by Lindsay

 

 

長谷川朋美オンラインサロン

2017年4月15日スタート!
DMMオンラインサロンにて入会を受け付けております。

長谷川朋美オンラインサロン